マメさがなくなり,どのSNSもフォローさせていただいている方々の投稿へのコメントもできていない私です💦
すみません💦
二足歩行時代はSNSを楽しむ時間(4%),バイクで走る時間(90%),飲んだくれる時間(6%)などメリハリつけて楽しんでいましたが,脊損になってからは時間を持て余してダラダラとSNSを見る時間が増えてしまい....
情報量の多さ,理解できないような投稿をみることで精神的に疲れてしまいました。笑
文字で伝えることも難しく,言葉を選びつつ,神経を擦り減らせてまで投稿することにも疲れてしまい。。。
そんな中,難病である母が息を引き取りました。職場とお友達1名にしかお伝えしておりませんでした。
母が入院して5年。
そのうち2年は寝たきりで,言葉を発することも口から食事を摂ることも飲むこともできず,同じ病室で同じ天井を見るだけの日々。。。
脳の疾患のため,生きるための機能をどんどん低下し,最期は呼吸機能も機能しなくなり...
生き地獄のよう日々だったんじゃないのかなって思います。
入院前も,自分の記憶がなくなってわからないこと・出来ないことが増えることで自尊心も傷つき,不安も恐怖も抱きつつ,周りに心配や迷惑を掛けないように取り繕って過ごしていたことと思います。
親が子を想って”代わってあげたい”と願うように,子も親の姿をみて代わってあげたいと切に願うものです
なんで母がこんな目に...
母は学生時代も社会人時代も苦難もあったはずだし,結婚してからは父や私たちのために犠牲を払うことも沢山あったことと思います
やっと定年退職してこれから自由な時間を楽しめるって矢先に難病が発覚するなんて,こんな酷なことはないです
介護のために実家に戻った私は事故って脊損になって車いすユーザーになるし,私は親不孝者です。。
看護師という経験を活かせず母の介護や傍にいることができないことは,自業自得と言えども本当に辛かったです。
本当に人生何が起こるか全くわかりません
地震も然り。
何の予兆もなしに「なぜ」ってことが起こるし,そんなレアケースに当たらなくてもってことも降りかかってくるものですよね
社会人になってからは親孝行しなきゃって自分なりにやってきましたが,それでも後悔しかありません。
脊髄神経の損傷による様々な機能障害や喪失は嫌になる事もたくさんありますが,後悔しないように,出来ることを出来るうちにやっていきたいです
...と毎回言ってる気がします。笑
今はとにかく父のサポートと今回の能登半島地震の被災者の方々への寄付に努めていきます
能登半島地震の被災者の方々は大切な家族も想い出も家も職場も失ってしまっていらっしゃるので,自責の念や絶望でやりきれない日々だと思います。。。
さとふる経由で支援金は寄付出来ましたが,日本赤十字社を通しての義援金を考えているので,物を売り飛ばしております
私が「クラウン買って旅行に連れていく!」と父に言ったことを父はしっかりと覚えているので,それを叶えるためにも今年は節約と努力とその努力を報いることが目標です( *´ω`* )💦
脊損を治して看護師としてガンガンバリバリ働いて収入を得たいです...
勉強して経験も沢山積んで,資格も取って,脊損を言い訳にせずにいきます